hhigu: 2010年5月アーカイブ

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小振りな番屋だが、寄棟(よせむね)の美しい姿は番屋の中でも群を抜いていました。屋根の上に設けられた「煙出し」は番屋建築を象徴するもの。それが屋根に載ることで建物全体が見事に引き締まります。規模の大きな番屋、豪勢な意匠の番屋だけが文化財として保存されていますが、この番屋のように地味でことさら美しさを誇示しないものに、世間は見向きもしませんでした。今はもう存在していません。



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人気のない小平町の海岸に建ち並ぶ二棟の巨大な番屋。奥に見えるのが花田家番屋、手前は小川家番屋。


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この建物は正確には番屋ではありません。出稼ぎの漁師たちは別に設けた棟で寝泊まりし、この建物は親方の住いとして建てられたものです。まるで繊細な模様のレースをまとったようなデザインです。こんな優雅な建物がわざわざ鰊魚場に建てられたのです。屋根の洋風六面の明り取り窓と二階の窓のデザインが特徴的な和洋折衷様式の建物で、明治初期に建てられました。北海道有形文化財に指定されています。


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過去の時間が建物内部に充満している番屋でした。






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350年ほど昔、道南の松前藩領内に始まった日本人の鰊漁は、やがて先住民族アイヌの土地に侵出し、次第に北海道の西海岸を北上して漁場を拡大していきました。最盛期には建網漁(建網ひとチーム約30人の漁夫が3ヶ月間番屋で寝泊まりする大規模な漁法)経営者が3,500名、刺網漁家が25、000名、必要とされる漁夫は10万人にもなったそうです。

こんな大掛かりにやっていれば無尽蔵といわれた鰊でも絶えるに決まっています。「資源は子孫にまで持続させるもの」といった内地では当たり前のはずの気遣いが、アイヌの人たちの土地には不要だったのです。

案の定、明治30年頃から不漁を繰り返すようになります。それでも一攫千金の夢を棄て切れない網元たちは、巨額の資金を毎年賭け続けたのですが、昭和30年あたりで全員力尽きました。



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漁夫たちの寝室となっていた二階の部屋。正面の壁に落書きがたくさんありました。一般的に漁夫たちの寝室は、部屋の周囲に設けられた二段ベッドの蚕棚式になっていました。この番屋では床に寝具を敷いて自分の居場所を確保していたようです。



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大漁に湧いた浜を見つめるように、優雅な姿を見せているこの番屋は、明治32年に建てられました。廃屋の状態から解体復元作業を経て、郷土資料館として保存されています。


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こんな巨大な建物が風景に調和して見えるのは、自然の地形に沿って建てられているからでしょう。



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刺網で鰊を獲る漁師の船に乗せてもらいました。漁場に向かう船から白鳥番屋が見えます(1977年撮影)。石狩湾では現在も刺網で鰊漁が行なわれていますが、それはかつて建網漁で大量に獲っていた回遊性の大型鰊とは別系統のもの。石狩湾内で成長する地域性のニシンといわれています。





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建物に重量感があるのは、切妻屋根が長く大きく開いているからです。屋根に載る大きな「煙出し」が鰊番屋に風格を与えています。

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この番屋を預かる笹原良一さん(当時75歳)は、木村家の支配人を務めた人。鰊を獲った時代はこの番屋の運営を任されていました。 この座敷もそうですが、親方の居住部分は昔のまま、手入れが行き届いていました。



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 障子の向こう側の立派な造りの親方居住部とは対照的な、雇い漁夫たちが寝泊まりした「ダイドコロ」。板張りの床に大きな囲炉裏が三面切ってあり、自在鍵を吊るすフック(空鉤)の太さが目を引きます。


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021.jpg鰊漁で賑わったゴロタ石の浜を吹き抜ける激しい海風。板塀が番屋を護ってきました。


               



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昭和6年の建築。毎年大漁に湧いた昔の時代と違って、昭和に入ると装飾もほとんどなく、実用に徹した番屋が建てられるようになりました。


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漁夫たちが漁期の間中寝泊まりしていた大部屋「ダイドコロ」。
この様に梯子がついた2段式の「ネダイ」が典型的な番屋スタイルのベッドです。普通ダイドコロには囲炉裏が切ってあるのですが、時代が下った小規模の番屋では囲炉裏のかわりにストーブが置かれるようになりました。




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ネダイの側壁には、旅役者たちのポスターや映画のポスターが貼られていました。
気分を癒すにはあまり冴えない感じですが、目張りが目的だったかもしれません。


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