吉田番屋 【利尻郡利尻町仙法志】 1977年撮影

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利尻岳を背後にした旧吉田漁場。


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いつでも使えるように鰊漁に必要な船が船囲いされ、大事に保管されていた。



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保存している船の前に立つ吉田さん。



04.jpg吉田漁場で使われた畚(モッコ=背負い箱)。沖で獲れた鰊を三半船(サンパン船)が岸まで運ぶと、陸の作業員が畚に鰊を入れて貯蔵場に運んだ。


小林多喜二『同志田口の感傷』にその描写がある。

ーー略ーー
 陸場は線路を越した向こう側になっており、サンパンからは可なりの勾配だった。畚背負いは肩を折りまげ、一列に並んで、エッサ、エッサと反動をつけて、そこを上がって行った。----姉は顔の汗を袖でぬぐったらしく、上気した頬に鰊のウロコが刻んだ銀紙のようにくッついていた。
「あねちゃ、めんこいから少し入れてけるど。」
 タモで畚に鰊を入れる漁夫が、三杯たっぷり入れるところを、若い女には軽く二杯半位にした。
「ホラ。」
 といって、畚の尻を押して立たしてくれた。
 出面の嬶たちはそれが分かるとプンプン怒った。
「この助平野郎!」
 漁夫は黒い顔を思い切り笑った。
「しなび婆ア、何ばいう! お前だって若げえどきあったべよ。」
 ----姉はそんなので助かっていた。それでも矢張りこたえた。
「お前、どこのねっちゃだ。----鰊場切り上げたら遊びにいくど。」
 鰊を入れながら、後からそんな冗談をきく。姉は然しそれに何とかいえる女でなかった。
「床ば敷いて待ってるよ。」
 同じ年の女でそんな口を返すのもいた。
ーー略ーー






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番屋内部



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「番付」。吉田漁場では、1シーズンに30人ほどの人々が鰊漁に従事したことが記録されている



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保存されていた鰊船



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水揚げしたニシンをさばききれないとき、一時保管のために設けられた「袋澗(ふくろま)」



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